高次脳機能障害の家族向けガイド——「なぜこんな人になってしまったの?」に答えるために

はじめに
「退院してから、なんだか別人みたいで……」
「すぐ怒鳴るようになって、夫婦関係が壊れそうです」
「さっき言ったことを5分後には忘れている。何度も同じことを言わないといけなくて疲れてしまって」
「本人は見えているはずなのに、左側のおかずにまったく手をつけない。どうしたらいいんでしょう」
脳卒中後、こうした変化に戸惑い、心を痛めている家族は非常に多くいます。
身体の麻痺や言語障害は「見える後遺症」として理解されやすい一方、思考・記憶・感情・注意といった「脳の働き」の障害は目に見えないため、「怠けている」「わがままになった」「もともとこういう人だったのか」と誤解されやすいのが現実です。
この記事では、高次脳機能障害(こうじのうきのうしょうがい)について家族の方に向けてわかりやすく解説します。「なぜこうなってしまったのか」を理解することで、関わり方が変わり、本人も家族も少し楽になれます。
高次脳機能障害とは——「見えない後遺症」
高次脳機能とは、記憶・注意・思考・計画・言語・感情のコントロールなど、人が生活を送るために必要な「脳の高度な働き」のことです。
脳卒中によって脳の特定の部位が損傷されると、これらの機能が障害されます。これが高次脳機能障害です。
なぜ「見えない」と言われるのか
身体の麻痺や言語障害と違い、高次脳機能障害は外見からわかりにくいのが特徴です。
- 普通に歩けて、話せて、笑える
- 検査では「正常範囲」と判断されることもある
- 本人自身も自分の障害を認識していない場合がある(病識の欠如)
それにもかかわらず「日常生活で以前とは違う困りごとが続く」という状態が、家族に大きな混乱をもたらします。
主な高次脳機能障害の種類と症状
注意障害(ちゅういしょうがい)
「ぼんやりする」「すぐ気が散る」「ミスが多くなった」
注意を持続させる、注意を分ける、必要なものに選択的に注意を向けるといった機能が低下します。
よく見られる場面:
- テレビを見ながら話しかけると全く聞いていない
- 簡単な作業でも頻繁にミスをする
- 長時間集中が続かず、すぐ疲れる
- 複数のことを同時にできなくなった(ながら作業の困難)
家族への伝言:「本人が聞いていないのではなく、注意を向け続ける力が弱くなっています。」テレビを消してから話しかける、一度に一つのことだけお願いするなど、環境を整えることが助けになります。
記憶障害(きおくしょうがい)
「さっきのことをすぐ忘れる」「何度も同じことを聞く」
脳卒中後の記憶障害では、新しいことを覚える力(記銘力)が低下することが多くあります。一方で、発症前の昔の記憶は比較的保たれます。
よく見られる場面:
- 食事をしたことを忘れ、「まだ食べていない」と言う
- 5分前に伝えたことを全く覚えていない
- 約束を忘れる
- 同じ話を何度もする
家族への伝言:「わざと忘れているのではありません。新しいことが「記憶のノート」に書き込まれにくくなっている状態です。」メモ・ホワイトボード・スケジュール表などの「外部記憶補助」が非常に有効です。
遂行機能障害(すいこうきのうしょうがい)
「段取りが組めない」「計画が立てられない」「途中で止まってしまう」
目標に向かって計画を立て、順序通りに実行し、途中でうまくいかない場合に修正するという「段取り力」が低下します。
よく見られる場面:
- 以前は料理が得意だったのに、何から始めればいいかわからなくなった
- 買い物に行くと何を買うか忘れる、余計なものを大量に買ってくる
- 仕事の優先順位がつけられない
- 問題が起きてもどう対処すればいいか判断できない
家族への伝言:「段取りの力が弱まっているだけで、意欲がないわけではありません。」手順を書いた紙を貼っておく、最初の一つだけ具体的に指示するなど、「外部からの枠組み(スキャフォールディング)」を提供することが助けになります。
半側空間無視(はんそくくうかんむし)
「左側のものに気づかない」「食事の左半分を食べ残す」
脳の右半球が損傷された場合に多く現れる症状で、左側の空間に意識が向きにくくなります(右半球損傷の場合は左無視が典型的)。
重要なのは「見えていない(視野障害)」のではなく「注意が向かない(無視)」という点です。
よく見られる場面:
- 食事のトレーの左半分に手をつけない
- 廊下を歩くとき左の壁にぶつかる
- 左から声をかけても気づかない
- 文章を読むとき左の文字を飛ばして読む
家族への伝言:「左を無視している」ことに本人自身が気づいていないことが多くあります。食器を右側にまとめる、声は右から(または正面から)かける、などの環境調整が有効です。
社会的行動障害(しゃかいてきこうどうしょうがい)
「急に怒鳴る」「感情の波が激しくなった」「場の空気が読めない」
前頭葉の損傷に多く、感情のコントロール・衝動の抑制・社会的文脈の理解が困難になります。
よく見られる場面:
- 些細なことで激怒する(脱抑制)
- 反対に、感情の起伏が少なくなりぼんやりしている(アパシー)
- 場の空気を読まず、不適切なことを言う
- 相手の気持ちへの配慮が薄くなった
家族への伝言:「性格が変わったのではなく、感情の”ブレーキ”の役割をする脳の部分が傷ついています。」怒りに反応せず一時的にその場を離れる、刺激の少ない環境を作るなど、対立を避ける対応が有効です。
家族のための声かけ・対応ポイント
高次脳機能障害を持つ方への関わり方には、いくつかの共通した原則があります。
✅ やってほしい対応
① 一度に一つのことを伝える
「お風呂に入って、着替えて、薬を飲んで」ではなく、「まずお風呂に入りましょう」と一つずつ。
② ゆっくり、はっきり、短い言葉で
情報処理のスピードが遅くなっているため、余裕を持ったコミュニケーションが必要です。返事を急かさないことも大切です。
③ メモ・ホワイトボードを活用する
「言ったのに覚えていない」という繰り返しを減らすために、重要な情報は書いて見えるところに貼っておきます。
④ できたことを一緒に喜ぶ
小さな成功体験の積み重ねが自己効力感を高めます。「できた」という経験が次への意欲につながります。
⑤ 本人の「やりたい」気持ちを尊重する
安全が確保できる範囲で、本人が自分でやることを支援します。「やってあげる」より「一緒にやる」「見守る」姿勢が本人の回復を後押しします。
❌ 避けてほしい対応
「何度言ったらわかるの!」という叱責
記憶障害の方は叱られた内容を記憶できませんが、「叱られた不快感」は残ることがあります。繰り返しの叱責は不安・抑うつを悪化させます。
「本人のためだから」と何でも代わりにやってしまう
本人が自分でできる部分を奪うと、機能の低下につながります。「できないこと」だけをサポートする「部分介助」の視点を持ちましょう。
感情的な反論・議論
社会的行動障害による暴言には「反論しない・引かない・関わらない(3不対応)」が有効な場面があります。その場を離れることは「逃げ」ではなく「対処」です。
日常生活での環境整備の工夫
| 障害の種類 | 環境整備の工夫 |
|---|---|
| 注意障害 | テレビを消して話す・作業する場所を静かに保つ |
| 記憶障害 | ホワイトボード・スケジュール表・チェックリストを活用 |
| 遂行機能障害 | 手順表を貼る・一つの作業が終わったら次を伝える |
| 半側空間無視 | 食器・日用品を非麻痺側(右側)にまとめる |
| 社会的行動障害 | 刺激の少ない環境・怒りが出たら場を離れる |
相談できる窓口と利用できる制度
高次脳機能障害支援センター
都道府県ごとに設置されており、診断・評価・生活支援・就労支援の相談に対応しています。まずここに問い合わせることをおすすめします。
地域包括支援センター
介護保険サービスの調整・相談に対応。デイケアでのリハビリや訪問リハビリを使いながら回復を続ける選択肢を一緒に考えてくれます。
障害者手帳・障害福祉サービス
高次脳機能障害は精神障害者保健福祉手帳の対象になることがあります。取得することで、就労支援・移動支援・ヘルパー派遣などのサービスが利用しやすくなります。
家族会
「高次脳機能障害友の会」など、全国各地に家族が集まる会があります。同じ経験を持つ家族と話すことで、孤立感が軽減されることが多くあります。
ほーりーの臨床メモ
「怠けているのか、病気なのか、もうわからなくなってしまった」という言葉を、家族から聞くことがあります。
高次脳機能障害は、本人が一番苦しんでいることが多いのですが、その苦しさを言葉にできないケースも少なくありません。「できないことへの苛立ち」が怒りとして外に出てしまい、それが家族を傷つけてしまう——という悪循環が起きやすい障害でもあります。
臨床で私が意識しているのは、「障害の説明」だけでなく「なぜこういう行動が起きるのか」という理由を家族に丁寧に伝えることです。理由がわかると、受け取り方が少し変わります。「わざとやっているのではなく、脳の損傷によるものだ」と理解できると、家族の心の余裕が少し生まれます。
家族が無理をしすぎないことも、回復を長く支えるためには欠かせません。「自分が疲れたら、誰かに頼る」ことは、弱さではなく、長く支えるための知恵です。
よくある質問(FAQ)
Q1. 「人が変わった」のは病気の症状ですか?
はい、多くの場合そうです。前頭葉損傷で起こる「人格変化」「社会的行動障害」は神経学的症状で、本人の意思や努力不足ではありません。Phineas Gageの古典症例から知られています。「以前の本人を失った」と感じる家族の喪失感は正当な感情です。専門家のサポートを受けてください。
Q2. 怒りっぽくなった本人にどう接すれば?
①刺激を減らす(静かな環境・人数を絞る)、②選択肢を限定する(迷うことが怒りに繋がる)、③具体的な指示にする、④疲労時を避ける、⑤予告する(突然の変更を避ける)、の5原則が有効です。家族だけで抱え込まず、OT・ST・心理士・家族会の支援を受けましょう。
Q3. 障害者手帳は申請できますか?
高次脳機能障害も精神障害者保健福祉手帳の対象です。発症から6か月以上経過して症状が固定した後に申請可能。神経心理学的検査・主治医診断書が必要。等級は1〜3級で、医療費助成・税控除・公共交通機関割引などが受けられます。
Q4. 専門の相談窓口はどこにありますか?
各都道府県に「高次脳機能障害支援拠点機関」が設置されています。専門相談員が無料で相談に応じ、医療・福祉・就労支援などをコーディネートしてくれます。「高次脳機能障害情報・支援センター」のウェブサイトで最寄りの拠点を検索できます。一人で悩まず、まず相談を。
まとめ
- 高次脳機能障害は「見えない後遺症」。家族の戸惑いは正当な感情
- 主要症状:注意・記憶・遂行機能・社会的行動・失語・USN。複数併発が多い
- 家族の対応5原則:刺激減・選択肢限定・具体的指示・疲労時回避・予告
- 環境整備:メモ・タイマー・視覚的合図・スケジュール表で生活を構造化
- 相談窓口:高次脳機能障害支援拠点機関に必ず連絡。一人で抱え込まない
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免責事項
本記事の内容は、筆者個人の経験・知識および参考文献に基づく情報提供を目的としており、個別の医療・リハビリテーションに関するアドバイスではありません。高次脳機能障害の診断・評価・支援については、担当の医師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士など専門家にご相談ください。本記事の情報を利用したことによって生じたいかなる損害についても、筆者は責任を負いかねます。
参考文献
- 日本脳卒中学会 脳卒中ガイドライン委員会. 脳卒中治療ガイドライン2021〔改訂2025〕. 協和企画; 2025.
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- Chen CC, et al. Compensatory strategies to improve functional cognition post-stroke: a review for caregiver empowerment and burden reduction. Front Rehabil Sci. 2025;6:100494.
- 厚生労働省. 高次脳機能障害及びその関連障害に対する支援普及事業. 2022.
- 日本高次脳機能障害学会. 高次脳機能障害診断基準ガイドライン. 2011.
















